時が経ち、今は厳冬期の中。

最後に書いてから、まだその時は雨の日は多かったけど、「雨の日が例年より多いなぁ」という程度なところでありました。

その翌月の終わろうとする頃に事態は大きく変わりました。

ご存知の方も多いかとは思いますが、こちらで言う「内地」、つまり本州以南の地域では、大きく話題になるほどのことは最初の発生のみみたいでありますが。ここ北海道の十勝地方は、台風10号とそれに関連した低気圧の影響で悪夢のような被害を受けてしまいました。

小さな川でさえも激流というか濁流というか、荒れ狂い川幅の数倍の規模になり鉄砲水となって橋や道路、家屋など様々なものを飲み込み、災害が少ないと言われてた、信じられてた地域も想像もつかないことになりました、というのは既知の事実なのであります。

交通路も分断され、各所の橋という橋が崩落して、道路も崩落しまして、高速道路がなかったら、それこそ十勝地方は孤立してたでしょう。そのくらいの大きさの災害でありました。

北海道の中でもとりわけ第一次産業が盛んな土地でありますが、農作物も甚大な被害を受けて、秋に収穫を迎えるはずの作物も被害を受けて商品価値もなくなったり、廃棄するしかなかったり、もちろん運良く生き延びた作物も成育不良で本来の出来栄えにもならなかったものも多く、大変なことでありました。

土地も肥沃な大地が土砂の流入により、今年は土作りから、それこそ農地を新しくするくらいのことをしなければならず、という箇所も多々ありまして。伝えきれない惨状なのです。

普通に生活していた私達も被災して、少しずつ生活を取り戻せた方がほとんどなのですが、家もそのまま戻って住める状態にないとか、流されたとか爪痕はまだまだたくさん残されてます。

復旧の前に冬になり、今でも避難生活を余儀なくされている人もおりまして、まさか自分がそこの中に含まれてるというのは、全く考えられないことなのであります。避難所は、おおよそ10日で限界になり閉鎖され、町の所有する空き家等に被災者を仮住まいとしてあてがい、サポートするということになりました。

そこから、もう130日以上の日が経過して。秋の時点で戻れなさそうな人はそこで越冬することしかなくて。しかし、押し込んだ訳ではなくて、避難所より快適な環境へ、という最大限の配慮でありまして。おかげさまで、冬のこの厳しい季節も無事に過ごすことができております。

但し、これが永続的なものである、ということは当然なくて、雪が少なくなる春のちょうど年度末かな?くらいには戻れる方は戻り、戻れない方は新たに住まいを探して新たな生活を築くことが運命付けられているのです。今の時期はもう被災地、被災者の今、という話題は誰も取り上げることもなくて、近隣の地域くらいまでしか真実は伝わらなくなりました。

多くのところは、終息したからそれも仕方ないことなのかもしれません。それでも、冬を越したら、この大地に復興の音が随所で動き出します。完全な復興には、それこそ何年もの月日を要します。

特に国道の日勝峠は、激しい被害を受けているので、まずは仮復旧させて、時間をかけて少しずつ本格的な復旧工事ということのようです。その区間は、幸い高速道路がありますので、代替路として。また、不通でした鉄路のJR根室線と石勝線は昨年のクリスマス頃から運転再開しましたので、人とものの動きはできている、ということであります。

そんなことが、この沈黙の間にありました。しかし、復興には色々な方のチカラが必要です。作業に従事される方、復興を後押しするために、無事な観光地をPRして、たくさんのお客様に来ていただいて、応援して頂くことも、もちろん大切なことなのです。大抵の観光地は被災から免れておりますし、復旧もできてますので、十勝は頑張ってるね!というところを是非多くの皆様に感じて欲しいと思います。

そんな訳で少しずつここの場でもお伝えできることは、発信していきたいな、と思います。不定期更新なところは、どうかお許しくださいませ。

2017.01.23

 

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